Twitterからログアウトしているため、こちらに綴る。ひと月前から、発達障害(ADHD)でメンタルクリニックに通院している。投薬治療。 大阪に出て来て最も気に入っている場所というのが天神橋筋商店街なので、梅田に出てくる必要上どうしても寄り道をする羽目…
かつて太宰を読んだ。芥川を読んだ。そうして、いまは、なにも読まない。 大嘘である。こんな下手な韜晦もないだろう。そもそも読まないのではなく、読めなくなったのではなかったか。19歳の頃に職にあぶれ、その後の人生を希望乏しき自殺ありきのものに貶め…
先ほどの記事でも示したように、酒ばかり飲んでいる。依存性になっているかどうかだという次元にある自覚も強く持ってはいるが、アルコール依存性を身近に見てきたAC(アダルトチルドレン)としての観点からは、自分がそうなっているとは思っていない。 酒を…
シャンディガフを4杯飲んだ状態でこれを書いている。最近、自分のTwitterの運用方法が狂気じみている。2013年から運用しているアカウントの900ほどあったフォローをツールを用いて全て外し、歌の即詠と別媒体の投稿共有にのみ用いるような運用にしながら、フ…
詠歌にまつわる話をはてなブログで続けていくかNoteに書いていくか非常に迷っているこの頃です。 もともと幻燈歌会という名称で短歌連作、俳句連作、詩、それらすべてを歓迎する綜合文芸批評会をオフライン、オンライン問わず主宰していましたが、COVID-19に…
ご無沙汰しております。流霞と申します。短歌を始めて六年は過ぎたようです。 そこで私が四年前、ある方の導きによって初めて歌会に出たときの詠草を公開推敲すれば私のツイートや即詠の読者にとって面白く、かつ詠歌や詩作の踏み台になるのではないかと考え…
秋への里程 秋山千景 うぐひすのこゑを忘れて聴く蝉のひたむきなれば急ぐなりけり 渓流を伝ひ来れるおほるりのこゑ聴くなへに日はあらはれぬ 木々の指すひかりへ向かふ駒鳥のさへづりとほく夏の明け方 ひと夏を眺め暮らしのあかるさは滅びの色と思ひながらも…
先日『ノスタルジア』を見返したせいか急に思い立ち、かつて未来誌に載った連作歌篇で製作当時からその構成に得心のいっていなかったものが先ほど改めて仕上がったので、載せておく。 初出時と比較して、主に変化したことは一首増えたことと、配列を入れ替え…
そうしなくてよかったのかはわからない。光は、けれど時おりそよぐ 高貝弘也の詩集を六冊読んだ。更に一冊頼んだ。それはさておき、もう随分前から現代短歌最大の収穫として最も推していながら、いまだに読み終えていなかった一冊をようやく読み終えた。 そ…
HSS型HSPという概念を知り、自らの相剋と矛盾に満ちた特性に合点が行きそうな気がしている。ADHDとは違ったということか。薬が要るという衝迫は今のところない。仕事で変わったことを要求されることがないからかもしれない。秋の空気を浴びて以来、どちらか…
Twitter上で、即詠流霞と称するハッシュタグを用いたライブ即詠をもう随分長いあいだ試みている。先日行ったものの出来が良いように思われるため、細部に手を入れた上でまとまった歌群〈無月流霞抄〉として公開することにした。 なお、即詠流霞については詠…
一度アカウントを破壊したりもあったのですが、Twitterを媒介にツイキャスというライブアプリを利用しており、近況の報告やその時々の詩文に纏わる思索の放送に用いております。 人間ができていないので話のネタもないのに放送するという莫迦をやるのはもう…
Twitterで、こんなことを書いていました。 私が完全に現代語で短歌をやらない理由について、近々ブログを書きます。とてもくだらないことです。いまは未来で最も尊敬している沙羅みなみを読んでいます。— 流霞 (@Nostalfire_) September 6, 2019 というわけ…
ここ数日、感情も思惟もどうしようもない。まるでまとまりを持たない。泥のようだ。Twitterを普通に使うのをやめた。人を傷つけるから。誰かを呪うために言葉を吐くことに、疑問を持たなくなったから。嫌い、という感情にだけ支配されつつあったから。潰す、…
酒器を始めとして、身の回りの道具に尋常ならざる愛着を持っている様は私のTwitterに剋明に記されている。それでいっそ無機物性愛者になっては如何、ということを思った。 なっては如何、というかもともと無機物性愛を抱えているのではなかったか。今まで何…
歌において歴史的かなづかいが身体化してくると、勢いひらがなが増えるのが自然の摂理である。 という持論を、一介の歌詠みとして長らく持っている。ここでいう身体化というのは、現代かなづかいで発想したものを歴史的かなづかいに直すという作歌法ではなく…
金蚉の屍となるまでを眺めたり疾く秋茜飛びつるなへに という歌を詠み、昨日の朝Twitterに上げた。金蚉は「かなぶん」と訓み、屍は「し」と訓ませる。 カナブンを最も身近な「死」として捉える感性を幼い頃から携えてきた。それは死してなお瑞々しく緑に輝い…
詩とは即ち〈誌〉であり、志を言うものである― という理念があるとして、私はこれをどこから得たのか。わざわざ問うまでもない、畢竟この考え方は唐詩に由来するものだ。思い返せば、私に初めて暗誦を企図させるほどの衝撃をもたらしたのは、唐の詩を初めと…
先日意を決して落札したノートPC、VAIO S15(シルビアではない)が届き、やや扁桃炎ぎみの体調を押して色々と試しているうちに書き物がしたくなった。そういうわけで以下、随想録。 なお、パソコンのキーボードで長文を打つのはこれが初めてとなる。順次慣れ…
巷で話題のコミケよろしく文学もすっかり個人頒布で販売される時代になった今日この頃ですが、皆様は文学フリーマーケット(通称〝文フリ〟)などに立ち寄られたことはあるでしょうか。私自身は実はまだ行ったことがなかったりします。 さて、そんな文フリでも…
昔でいうチェインメール、DECOLOGなんかでもこういう文化はありましたね。異なるのは趣味というかやはりクラスタに依存するため多少内容が生産的だという点でしょうか。それとハッシュタグはチェインメールとは違い自主的に参加するという点も大きいですね。…
過日、葉ね文庫で短歌と歌会にまつわる自分の考えを知人に話すことがあった。そこで短歌と仮名遣いの関係について触れたが、それがきっかけとなってまた色々考えるに至ったので、書き留めておきたい。 以降は古典かなづかいで記します。なお、この文章におけ…
歌は、単なる言葉の遊戯ではない。歌の心、歌の意味は、もう一つの新しい現実の出現なのだ。歌で開かれた舞台に似た世界は、ただ妻戸の向うの庭を見るといったものではない。それが藤色の歌なら藤色に世界が染められるのだ。赤なら、夕陽に野山が照らされる…
ご無沙汰してます。田上純弥です。iPhoneから更新のしづらい仕様のJUGEMを捨てて、僕の観測範囲で短歌界隈のひとが比較的多そうなこのはてなブログを始めました、というのはTwitterでもお話しした通りです。そしてブログという場に長文をしたためるのは相当…