短歌の私性、本当に必要?
歌は、単なる言葉の遊戯ではない。歌の心、歌の意味は、もう一つの新しい現実の出現なのだ。歌で開かれた舞台に似た世界は、ただ妻戸の向うの庭を見るといったものではない。それが藤色の歌なら藤色に世界が染められるのだ。赤なら、夕陽に野山が照らされるように、現実は茜色に染め変えられるのだ。心が月の光に澄んでゆくとき、実は、この世界が蒼く澄んでゆく。花の色を歌が詠みだせば、それは歌のなかに閉じ込められた花の色ではなく、この世がすべて花の色に包まれ、花の色に染められるのだ。 ──辻邦生『西行花伝』P.355
ルビ:遊戯(あそび)現実(このよ)出現(あらわれ)
もう随分前から、古典和歌と前衛短歌の親和性について考えている。まず始めに前登志夫と岡井隆の作品より、前衛短歌の本質を示していると思われる二首を挙げておきたい。
夜の庭の木斛の木に啼くよだか闇蒼くしてわたくし見えず ──前登志夫『流轉』〝形象〟
※木斛に〝もくこく〟のルビ
〈私〉の上に斜めに線引きていざ還りなむ水の向かうへ ──岡井隆『マニエリスムの旅』〝騒ぎ止まぬ定型格子〟
※〈私〉に〝わたくし〟線に〝すぢ〟のルビ
前は夜の庭の木斛の樹上に鳴きとよむ夜鷹と半ば同化しつつ、闇は蒼いものであるゆえに〝わたくし〟が見えないと歌い、岡井は〈私〉の上に斜線を引いて、さあ帰ろうじゃないか、「水の向こう側へ」と歌った。
いざ還りなむ、というのはもちろん陶淵明の帰園田居に由来する言い回し。「帰りなんいざ、田園まさに蕪(あ)れなんとす。」は与謝蕪村の俳号の由来としても有名なものだ。
衒学はさておき水の向こうに、という恐らくは喩であろうこの結句については、私にとっても難しい。固体であることを放棄し、流動的な液体になってしまおう、という感覚的な解釈が果たして許されるか、どうか。
さて、前置きが長くなったが本題に入ろう。ひとまず最近の私のツイートを組み合わせ、そこから大きく敷衍したものをここに記したい。以降は歴史的仮名遣いを主軸とし、一人称も都度変わります。
そんなわけで、現在わたしは近代短歌以降の〝私性〟なるものを半ば誅戮するつもりで短歌をやつてゐる。何より和歌に学んでゐる。共同幻想・詩的普遍のためには私性など軛以外の何者でもない。※軛(くびき)
そのためには私性の枠に収めきることのできない文体を構築、あるいは獲得するのが不可欠であり、また最短経路だと思ふ。前衛短歌からわれわれ歌詠みが本当に引き継ぐべきは、その表現技法のみにあらず。その精神性、私性の壁を穿ち、私性の壁を越えむとしたその心意気なのではないだらうか。
前衛短歌、もしくは前衛期の短歌は、確たる自己を否定し、拒絶したことでかへつて普遍性を取り戻したといふ観点から眺めれば、明らかに古典和歌に漸近してゐる。回帰してゐる。
直前にある近代短歌の存在、それに対するアンチテーゼとしての意味合ひが大きかつたあまり、そのあたりを見落としてはゐないだらうか。とはいへ、近代短歌が個人に執するあまり普遍性が全くなかつた、などと十把一絡げに述べるのも愚の骨頂には違ひないのでここは難しい点ではあるとも思ふ。
いづれにせよ、かつて古典和歌は特定のイメージを喚起する序詞、枕詞、掛詞、縁語、本歌取りの技法を用ゐることで言語による共同連想のもとに成り立つてゐたことは、渡部泰明『和歌とは何か』鈴木日出男『古代和歌の世界』の二冊を読めば誰にも知られる話だらう。
和歌といふものは個人の文学であると同時に集団の文学でもあつたわけだ。万葉集のなかでさうなるまでにも紆余曲折あつたやうだが、よく集団の抒情から個人の抒情に変化したとして取り上げられるのが、万葉集編纂者である大伴家持(おほとものやかもち)の作品群だ。彼は以下の特色ある三首と左註を、詞書とともに万葉集巻第十九の巻末に据ゑて残した。
二十三日、興によりて作れる歌二首
春の野に霞たなびきうら悲しこの夕光にうぐひす鳴くも ※夕光(ゆふかげ)
わが屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも ※夕(ゆふべ)
──『万葉集』巻第十九、巻末
・二十三日、気が向いて詠んだ歌、二首。
・春の日の野に霞がうつすらとたなびいてゐて、なんとなくもの悲しく思はれてきたやうだ。ましてや夕影の射すこの景色に、鶯がその澄んだ健気な鳴き声を添へてゐるのだから──
・私の家の庭に群がつて生えてゐる笹や竹が、風に吹かれて微かな音を立ててゐるのが聞こえてくる。そんな静寂の夕べであることだ──
二十五日作れる歌一首
うらうらに照れる春日に雲雀あがりこころ悲しも独りしおもへば
春日遅遅として、鶬鶊正に啼く。悽惆める意、歌にあらずばら撥ひ難し。よりてこの歌を作り、式ちて締緒を展べたり。(以下略) ──同上
・二十五日に詠んだ歌、一首。
・うららかな春の陽射しのなかを一羽の雲雀が空高く上がつてゆく。そんななか、独り寂しく物思ひに耽つてゐると、私の心に根を下ろした悲哀もまた深まつてゆくのであつた──
・春の日は緩やかかつ穏やかで、折しも雲雀が鳴いてゐます。心がだんだん感傷へと傾いてゆくのを、歌を詠まずには振り払へさうにありませんでした。そこで私はこの雲雀の歌を作ることで、心にできてしまつた固い結び目をほどいたのです。
私はこの家持の左註を、どんな歌論よりも重視し、自らの訓誡としてゐる。願わくは私もこのやうに自然な動機で歌を詠みたいと思つてゐるが、なかなかさうもいかない。
何よりこの春愁三首といはれる作品群を読むとき、あたかも自分が鶯の鳴き渡る春霞の夕べに、竹の葉が風にそよいてゐる庵の庭に、陽射し麗らかな春の日に雲雀を聴きながら物思ひに耽つてゐるかのやうな錯覚を覚えてしまふのだ。ここではひとりの人間が春の憂愁に向かつて佇む様が、誰にとつても身近な情景であることによつて剋明に立ち上がつてくる。
さうして次なる和歌集である古今和歌集では、後期万葉において家持が集団というより個人の感懐を朗らかに歌ひあげた現象よりも、彼の持つてゐたやうな優美な詠風と伝来の修辞技法へと傾いてゆくこととなる。掛詞や縁語を用ゐる言葉遊びめいた修辞に重きが置かれ、季の題に即して詠まれる題詠が増える。さらには屏風に描かれた絵を見て詠む屏風歌など、万葉歌に濃厚だつた実景や実感からやや離れたところで歌が詠まれるやうになつたらしい。これも彼ら王朝人が万葉歌の実感をもって享受することが難しくなつたといふことなのかもしれない。
では古今の歌は退嬰だつたのか。答へはもちろん否だ。古今和歌集では、枕詞をそのまま組み込んで序詞とし、しかも掛詞にまでしてしまふなどといつた言語を絶する手練手管が形成された。この背景にあるのが、共同言語であり、共同連想なのだ。
誰かが思ひ、と書き記したとき、そこに恋ひの〝火〟を見出す。それを誰かが歌に詠む。それが広まる。周知のこととなる。さうして掛詞は歌詠みのあひだで共有財産となる。それはあたかも燎原を渡りゆく烈火のごとく。
今は昔、夜空に神々しくかかつた三日月を、誰かが破魔の霊験あらたかな梓の木で作られた弓のやうだと思ひ至る。また別の誰かは弓に弦を張ることを心に描き、夜空に欠けた月がかかることをも〝梓弓張る〟と言ひなす。そしてまた別の誰かが、梓弓張るの〝はる〟の部分に季節の〝春〟を掛けることを思ひつく。それを誰がが歌に詠む。梓弓といえば春。さうして連想もまた歌詠みのあひだで共有財産となる。
志賀の山ごえに女のおほくありけるによみてつかはしける
・志賀の峠を私が越えてゐたとき思ひがけず大勢の女性に出会つたので、彼女らに詠んでお贈り致しましたその歌です。
・(梓弓を張るやうな形をした月が煌々と照らしてゐる、)春の山辺を越えてくると、道を避けて通ることさへ難しいほどに(貴女たちといふ)美しい花が散り敷いてゐることでした。
共同言語の内側に入つてみると、上述したやうに〝梓弓〟と言はれるや即座に夜空に浮かぶ三日月を脳裡に思ひ描いてしまふやうになる。そのとき、あなたははすでに古典和歌といふ共同言語空間の一員となつてゐるのだ。枕詞や序詞は意味がない空疎な言葉なので訳さなくていい、といふのは正直いふと学校教育の誤謬のひとつだつたのではないかと今は考へてゐる。昼間に送つた歌だらうから月がかかつてゐるわけがないのかもしれないが、峠を越えるまでの夜にかかつてゐた月を放り込んだのだと考へれば、合点がいかないこともない。意味の失はれた枕詞といへど、そこにある共同連想そのものは微かに残つてゐることだらう。
風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君がひとり越ゆらん ──『古今和歌集』雑歌下
※夜半(よは)
・もし風が吹いたならば、海の沖の白波が立つといふ、そんな名前を持つ恐ろしい竜田山を、貴方はひとりでいま越えてゐることだらう──
白波が立つ、竜田山といふ掛詞でもあり、そのやうに引つ掛けることによつて共同言語としての竜田山を引き出すための序詞でもある〈風吹けば沖つ白波〉だが、歌ひかけてゐるはうのいまにも難破してしまひさうな不安が託されてゐるのがお分かりいただけるだらう。さうして、私がいま味わつてゐる不安といふ名の荒波が、竜田山を歩いてゐるだらう相手の姿に覆ひかぶさつてゆくのだ。そしてこの一首は、山に潜む闇の荒波から想ひ人を守らむとて詠まれし一首に他ならない。
新古今和歌集に端を発する先行作を踏まえて重ね合はせる本歌取りの技法も、このやうに読み手に特定のイメージを惹起することで重奏効果をもたらす点では何ら変はりはないが、長くなりすぎるので今回は割愛しておく。要するに、古典和歌といふのは決まつた言ひまはしや特定の言葉が用ゐられることによつて一定の連想を生むため、参加する誰もが均一な読みを得られる。何より読者が歌における視点そのものとなりやすい構造を持つてゐたといふことが言へるだらう。有り体にいふならば、そこでは読者が舞台の主役となりうるわけだ。
さて、さういふ積み重ねがいつしか単なる先行作品の形骸的な焼き増しに等しい状況になつてゐたところに風穴を空け、唐詩や和歌、日記文学や随筆、歌物語などを下地にした共同言語、即ち歌ことば(現在いふところの歌語および雅語)を知らずとも短歌を詠めるやう改革を果たしたのが正岡子規であり、アララギや明星の歌人だつた──、といふのが大雑把なあらましである。
かくして共同言語に寄りかかつた王朝和歌なる閉鎖的文学は近代短歌の鋭利な匕首によつて息の根を止められた。そして自らの言葉によって自立する開放的文学の時代が幕を開けたわけだが、どうもその代償にあるものを失つてしまつたらしいのだ。
それが、先ほどから連呼してゐる〝共同性〟に他ならない。上で〝読者が視点そのものになりやすい〟といふことを書いたが、そのこととも深く関係してくるだらう。
それぞれが〝自分独自の〟言葉で、〝自分独自の〟人生や境涯を歌ひあげる。大いに結構なことだらう。何も悪くないではないか。さう思ふ向きがあるのは当然至極のことだと思ふ。
そこでひとつ問ひたい。個人の体験に即した短歌と、共同言語による普遍を狙つた短歌と、どちらの飛翔力が上なのだらう。どちらの浸透力が上なのだらう。
他人事として客観的に、冷静に読めるものが果たして本当に詩として優れてゐるのだらうか。そこに書かれたことがあたかも我が身に降りかかつたことのやうに感ぜられることにこそ、短詩型文学ならではの可能性が、衝撃力が秘められてゐはしないだらうか。
空洞があつてこそ読み手による反響と残響が生まれるはずの、虚空に打ち立てられた歌の伽藍に、〝私〟といふ実体が詰まつてゐたとする。そこでは共鳴すべき読み手の声が〝私〟といふ実体の存在に押し負けてしまひはしないだらうか。
われわれ現代短歌の詠み手は、実は知らず知らずのうちに先人の遺産を──言葉にあらず、その心を──自ら手放すといふ途方もなくもつたいないことをしてゐるのではなからうか。そして何より、〝自らの言葉〟とはいつたいどこにあるのだらう。日本語を使つてゐるその時点で、我々はすでに日本語といふ共同言語空間に巻き込まれてゐるのではないか、といふ疑ひが脳裡を掠める。
と、ここまで書いてきてひとつの疑念が首をもたげる。近代の個人主義を通つて、人々は表現を介して語られる個人の物語については興味深く読めこそはすれ、もはや言語によつて織り成される共同の幻想に浸る気などさらさらないのではないだらうか、といふことである。夢はもう見厭きた、そんな声が私の内側に静かに響かふ。ここにひとつの虚ろがある。
だとしても、それでも私は抵抗する。何故なら他ならぬこの私が、多くの人とまだもう少し歌の世界に夢を見てゐたいからだ。古へびとがかつて身命を賭して遺した歌に潜んでゐる意志の力を、忘れたくないからだ。
橘の匂ふあたりのうたた寝は夢も昔の香に匂ひける ──藤原俊成女(女=娘)
春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空 ──藤原定家
しづかなる暁ごとに見渡せばまだ深き夜の夢ぞかなしき ──式子内親王
以上三首、ともに『新古今和歌集』
「生きる道を切り開くこと、と言い直してもいいかもしれません。現身の人間はたえず無明の闇に迷います。手さぐりで道を求めなければなりません。歌は、そういう手さぐりの一瞬一瞬に、ぱっと輝く松明のあかりのようなものでありたいですね。遠くまで照らす光明もあれば、足もとしか照らさない光明もあります。とまれ、歌は光明です。」 ──辻邦生『西行花伝』P.414
ルビ:現身(うつせみ)、松明(たいまつ)光明(あかり)
やはり自分の言葉なんてものは、俺にはない。どんな歌が生まれてこようと、それは先人の所産を通して湧き出してきた返歌に過ぎない。私が歌のなかで哀しむとき、そこで哀しんでゐるのは私であつて私ではない。歓びにしたつてきつとそれは同じことだらう。
たつたいま、返歌に過ぎないと言つた。それは諦観ではなく、先人の歌業を意識して歌を詠むとき、私はすでに和歌の歴史を担ふ一員となつてゐる。なることができる。孤独なやうでゐて決して孤独ではないその状態が、何よりも嬉しいのだ。──独り釣る寒江の雪──私の知り得ぬ何らかの形で孤独の無明長夜を歩まうとする修羅の歌詠みとは、もしかすると馬が合はないこともあるかもしれない。
言葉の上で、ただ花が咲き、月が澄み、木の葉の散る山里が寂しいのではない。まず心が花の歓喜に変成し、心が我を忘れて踊り上るのだ。嬉しさに満たされるのである。また時に山里の寂しさに心はたださめざめと泣くのである。ここには賢者風に冷たく心の動きを見る眼などない。あるのは笑う心、泣く心だけだ。本当に全身全霊が桜の花の中にたち迷う。全身全霊が秋の夕暮れのあわれに打ちひしがれる。この本当にということが大事なのだ。本当に変成し、桜になってしまう。秋の寂しさになって泣いている。物狂いとはこのことであり、このことを除いては、歌の心はないのである。 ──辻邦生『西行花伝』P.588
ルビ:歓喜(よろこび)変成(へんじょう)賢者風(さかしら)全身全霊(このみすべて)
以上の考へから私は、短歌において作者、すなはち〝わたくし〟が介在しない、または後退してゐることによる飛翔力、浸透力に賭けてみたい。古典和歌にコミットするといふことは、本質的にはさういふことなんだと思ふ。そこに時代の壁は関係ない。いづれにせよ、何に学ぶにしてもその表層だけを浚つて良しとするわけにはゆかないだらう。僕は、敷島の和歌の浦なる鳥居の奥に昏々と眠つてゐる核心を、真髄を、借り受けて歌を詠みつづける。
そんなこんなでこれが今の僕に出せる、最良の結論なのだろうと思っている。今のところは。