叢雲堂春秋

古典詩への憧憬を基軸に、書評と随想と ── If you're also a stargazer, feel the emotion. Think the thought. ──

古川日出男『ゴッド・スター』を読み終えて

 

 

ここ数日、感情も思惟もどうしようもない。まるでまとまりを持たない。泥のようだ。Twitterを普通に使うのをやめた。人を傷つけるから。誰かを呪うために言葉を吐くことに、疑問を持たなくなったから。嫌い、という感情にだけ支配されつつあったから。潰す、という目的にしか価値を見出さなくなりつつあったから。Instagramはてなブログの更新が自動的にツイートされるような、そんな間接的な活用に留められたら、と今は思っている。主宰していた文芸批評会のアカウントも、消した。

 

始めから私は誰にも求められていなかった。私にしても、実は誰も求めていなったのだろうとに今にして思う。柄じゃなかった、そういうことにしておく。

 

自分がリアルタイムで言葉を並べるべき人間ではないということ。

 

 

いつからか、サラマンドラ

なっていた。

みんなみーんな燃えてしまった。

 

そんな歌を詠んだのはそう遠い話でもない。こう詠んでみたところで、世界はそうたやすく燃えてくれない。自分が燃え尽きるほうが話が早い、どんな意味合いにおいても。The Durutti Column「Vini Reilly」を聴いていたところ、哀しみのあまり何かしら書きたくなった。それでいまこれを書いている。

 

前回の記事への目に見える反響があまりに少なかったので以前にも増して失望している。己の内面の氷を切り裂いて記した散文なんてものは流行らない、そんな気分に苛まれている。早計だとは思うが。というか、皆もっと苦しめ。

 

それはそれとして、久々に小説を通読した。新潮文庫から出ている、古川日出男の『ゴッド・スター』というものだ。タイトルに惹かれた。黒田潔という方による、表紙の装画が気に入った。書籍のほうから語りかけられるのは久々だったので、嬉しかった。

 

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私はたしかに少年の母だった。紛れもなく、「あたし」であった。途中までは文体の携えた疾走感に喰らいついていけていたが、中盤、「メージ」なる存在が現れたあたりから思考が混濁して上滑りの読書と化していたような気もする。質的には朝吹真理子『流跡』のような、散文詩に近い読後感だった。文体としてはそこに森博嗣スカイ・クロラ』のようなドライブ感と同『クレイドゥ・ザ・スカイ』における自己乖離感が乗るような、そんな感じだった。

 

 

違う。違うの。こんな語りではあの作品の魅力を語りつくすことなんてできやしない。あたしは速度を上げる。何の?思考ってゆうか、語りの。あたしをさっきまで取り巻いていた言葉の速度に合わせて。あたしは深入りしない。内面の速度を外界のスピードに合わせて。シンプルに。あたしは彼の記憶を辿る。

 

 

とまあ、こんな文体で謎を残したまま駆け抜けていったわけだ。誰が?あたしが。あたしの感情ってゆうか、思惟が。おや、まだ残滓があったらしい。はやくここから出ないと。あたしたちは出口をさがす。出口ってどこの?

 

「よるです。リウカはかなしいものをみつけます。リウカにかなしいんです。それは月です。きっと月です。雲がよぎります。月がかくれます。あらわれます。かくれます。しろくなります。あさです。」

 

 

 

どうやら私は、とんでもない袋小路に迷い込んでしまったらしい。

 

 

 

 

ゴッドスター (新潮文庫)

ゴッドスター (新潮文庫)