叢雲堂春秋

古典詩への憧憬を基軸に、書評と随想と ── If you're also a stargazer, feel the emotion. Think the thought. ──

2018-01-01から1年間の記事一覧

詩における〈志〉とは? ー随想

詩とは即ち〈誌〉であり、志を言うものである― という理念があるとして、私はこれをどこから得たのか。わざわざ問うまでもない、畢竟この考え方は唐詩に由来するものだ。思い返せば、私に初めて暗誦を企図させるほどの衝撃をもたらしたのは、唐の詩を初めと…

移ろふもの、成ることなし。

先日意を決して落札したノートPC、VAIO S15(シルビアではない)が届き、やや扁桃炎ぎみの体調を押して色々と試しているうちに書き物がしたくなった。そういうわけで以下、随想録。 なお、パソコンのキーボードで長文を打つのはこれが初めてとなる。順次慣れ…

ナタカ歌集『ドラマ』についての覚え書き

巷で話題のコミケよろしく文学もすっかり個人頒布で販売される時代になった今日この頃ですが、皆様は文学フリーマーケット(通称〝文フリ〟)などに立ち寄られたことはあるでしょうか。私自身は実はまだ行ったことがなかったりします。 さて、そんな文フリでも…

回答編〝#短歌の人がいいねの数だけ短歌の話をする〟

昔でいうチェインメール、DECOLOGなんかでもこういう文化はありましたね。異なるのは趣味というかやはりクラスタに依存するため多少内容が生産的だという点でしょうか。それとハッシュタグはチェインメールとは違い自主的に参加するという点も大きいですね。…

短歌における旧仮名遣いとは。

過日、葉ね文庫で短歌と歌会にまつわる自分の考えを知人に話すことがあった。そこで短歌と仮名遣いの関係について触れたが、それがきっかけとなってまた色々考えるに至ったので、書き留めておきたい。 以降は古典かなづかいで記します。なお、この文章におけ…

短歌の私性、本当に必要?

歌は、単なる言葉の遊戯ではない。歌の心、歌の意味は、もう一つの新しい現実の出現なのだ。歌で開かれた舞台に似た世界は、ただ妻戸の向うの庭を見るといったものではない。それが藤色の歌なら藤色に世界が染められるのだ。赤なら、夕陽に野山が照らされる…

語彙消失歌会と穂崎円歌集『ヴァーチャル・リアリティー・ボックス』

ご無沙汰してます。田上純弥です。iPhoneから更新のしづらい仕様のJUGEMを捨てて、僕の観測範囲で短歌界隈のひとが比較的多そうなこのはてなブログを始めました、というのはTwitterでもお話しした通りです。そしてブログという場に長文をしたためるのは相当…