金蚉随想
金蚉の屍となるまでを眺めたり疾く秋茜飛びつるなへに
という歌を詠み、昨日の朝Twitterに上げた。金蚉は「かなぶん」と訓み、屍は「し」と訓ませる。
カナブンを最も身近な「死」として捉える感性を幼い頃から携えてきた。それは死してなお瑞々しく緑に輝いていた。死んでいることが信じられなかった。ハンミョウやタマムシのように稀少ではない、ありふれた生命が冷たく光っているのが不思議で仕方なかった。
今にして思えば、形にならないだけであのときからもう詠歌は始まっていたのではないか。
こんな歌を詠んだこともある。
てのひらのうへにからびて抜け殻は落ち葉の音でくづれてゆきぬ
夏から秋へと到る契機を見出だす着想において同工異曲と言えるだろう。ただこの歌には視線がない。冒頭に掲げた一首において逡巡したのは、たしかに第三句〈眺めたり〉だった。かつての私は歌における世界に〈私〉が介在することを望んでいなかった。それがいまは和らいだのだろうか。そもそも、果たしてそれは本当に和らげてよいものだったのか?迷いは尽きない。
敏くしてここを見棄てしいくたりぞ亀虫の屍を草にかへせり/ 『鳥獸蟲魚』
私が冒頭に掲げた一首で屍を「し」と訓ませる契機となった歌だが、抒情の本質としても相当な影響下にあることは火を見るほどに明らかで、いっそ清々しいぐらいだ。もっとも、歌一首で眺めれば即座にアキアカネへと遷移しているあたり私の詠歌のほうが希望があるかもしれない。
死骸を曳く蟻のため落蟬は夏熾んなるこずゑを選ぶ/子午線の繭
死骸は「なきがら」と訓ませられている。前の詠歌における生命、そのなかでも虫は常に死の予感とともにある。上に掲げた二首でも充分それは伝わることだろう。白い梯子を昇っているのはなにも蜩に限った話ではない。
死は目に見えないもののようによく言われるが、私にはそうは思われない。いつかTwitterで「歌とはすべて世界に対する相聞である」といったことを嘯いたが、それと同じように「歌はいつでも世界に対して挽歌たりうる」ということを述べておきたい。「ホロビトハアカルサノコトデアラウカ」とは太宰治が小説「右大臣実朝」のなかで源実朝に述懐させて名高いものだが、現代短歌にもそのような滅びが隣にある歌をもっと多く求めたい、というのが正直なところだ。既出作より曰く、
ほころびて心得ほろぶほろほろと鳴る山鳩のこゑに呑まれて
鶯も鳴かず蜩も哭かず聴き手のだあれもゐない夕暮れ
忘れつるいまを今際の形見とて次なる世へとわれ羽ばたきぬ
私は歌の上で何度でも死に、何度でも蘇る。何の話をしていたのかについては、もう忘れた。