叢雲堂春秋

古典詩への憧憬を基軸に、書評と随想と ── If you're also a stargazer, feel the emotion. Think the thought. ──

ただの日記

 

Twitterからログアウトしているため、こちらに綴る。ひと月前から、発達障害(ADHD)でメンタルクリニックに通院している。投薬治療。

 

大阪に出て来て最も気に入っている場所というのが天神橋筋商店街なので、梅田に出てくる必要上どうしても寄り道をする羽目になる。

 

いきおい無駄遣いが発生することはさておき、遅い昼食として天神橋筋5丁目にある親子丼専門店「鶏玉」に来た。開店当初から気にしていたものの、概ね天六中崎町~天満に来る時というのは人と酒を飲みに来る時だったので、なんとなく来そびれつづけていた。

 

今となっては中崎町周辺に来る目的はおよそ稲田酒店か葉ね文庫(詩歌専門の書店)か舎利殿(アクセサリーショップ)だけになっている。

 

商店街はまた別として…………

 

そのつもりがなかったので本来なら撮っていそうな写真もない殺風景な記事になってしまったが、天神橋筋をうろつくときに鶏玉の親子丼はいい腹ごなしになると思う。

 

それにしても職場で上手く行かなすぎて「死んでやろうか」ということばかり考えている。転職、見事に失敗しましたね。社会が求める速度が、どうも俺には速すぎる。頭が遅ければ手も遅い。

 

そういう苦境が祟ったのか、Radioheadばかり聴くようになった。いつかトム・ヨークのことでも記事にしようかな…………

ある日の世迷い言

 

かつて太宰を読んだ。芥川を読んだ。そうして、いまは、なにも読まない。

 

大嘘である。こんな下手な韜晦もないだろう。そもそも読まないのではなく、読めなくなったのではなかったか。19歳の頃に職にあぶれ、その後の人生を希望乏しき自殺ありきのものに貶めて、ただ小説を読むことを己の義務とした。理由はない。ただの強迫観念だった。傍目には怠惰としか映らないその様は実父から複雑な心境をもって眺められた。自分を毒虫のようだと思った。私に妹はいない。弟もいない。兄も、姉も。

 

実用書を読むでもなく啓発書を読むでもないその期間は、紛れもなく今の詠歌の礎になっている。やがて中也と啄木を経由し、短歌をノートに書くようになった。名詞頼みの、下手な歌だった。体言止めが持つ本当の効用も知らなかった。いつしか古典和歌に回帰した。定家を再発見し、西行に弟子入りし、大伴家持いうところの「悽惆の意、歌に非ずば撥ひ難し」の文言を自らの脊梁に据えた。それはひとつの寂寥であったかもしれない。少し前には京極派和歌を希求していた。切望していた。景と情との中に自我をすっかり溶かしこんだその歌風は現代の最下層を生きる私に無限の安らぎをもたらした。

 

それすらも離れて、時には現代詩を読んだ。高貝弘也に痛く肩入れした。近代詩も読んだ。美術に多少明るくなった。和歌の美意識を具現化した琳派を、詠歌に逆輸入するにはどうすればいいか、ということを辻邦生の『嵯峨野明月記』と『西行花伝』を通して考えた。小説を読まねばという義務感がこの身を去ったことはついぞなかった。

 

自分の詠歌が時代に求められていないことを知るのにさほど時間はかからなかった。発表する必要性を感じなくなり、歌そのものをめっきり詠まなくなった。といって歌が嫌いになったわけではない。ただこのうたびとは、自然の真っ只中に身を置いていなければ歌の一首も詠めないらしかった。夢幻の抽象に憧れるのに自然の具象を要するとは、まだまだ修行が足りないようだった。

酒と私と。──酒器がもたらす媒介性──

 

先ほどの記事でも示したように、酒ばかり飲んでいる。依存性になっているかどうかだという次元にある自覚も強く持ってはいるが、アルコール依存性を身近に見てきたAC(アダルトチルドレン)としての観点からは、自分がそうなっているとは思っていない。

 

酒を飲むとき、私はそもそも酔うことを目的としていない。藻塩で焼いた時不知の鮭、島根の刺身醤油で煮付けにした鯛、胡麻油に柚子胡椒で焼いた鶏のせせり、照り焼きにして山椒を塗した鶏の手羽小間、そういうものをより美味しくいただきたいがために酒を飲む、といったことのほうがよほど多い。

 

そういった営為と私の間を取り持ってくれる存在が、酒器だ。媒介性ということは酒器とゲーテから学んだ。この世に生きて在るということには様々な「媒介的要素」が絡まる。

 

媒介は常に両者を増幅するために機能する。酒と私のあいだにもたらされる「陶酔」を増幅し、酒と肴のあいだに生まれる「調和」を増幅する。そうして増幅されたとき、私もまた何かを増幅する媒質と化している。そこにある両者がなんであるのか、それについてはまだ知りえない。「時間と私」「幻想と私」「食材と私」「作家と私」「経験と私」「記憶と私」……恐らく何でも当てはめられるのだろう。そして、殊更何かを当てはめる必要もないのだろう。

 

媒介によって自らが媒質となる、その瞬間の恍惚と忘我。それに身を任せていさえすればいい。そこには必ず空白、余白、「遊び」が生まれる。梁塵秘抄において「遊びをせむとや生まれけむ戲れせむとや生まれけむ遊ぶ子供の聲聽けば我が身さへこそ搖るがるれ」と詠はれた、その領域に自らを黙っておいていれば、それでいい。

 

いつか己が己を媒介に媒質となる日を夢見て、私は今日も酒を喰らう。酒が見せる夢に遊ぶ。月と影とを友として。

無題.2020.07.08.

 

シャンディガフを4杯飲んだ状態でこれを書いている。最近、自分のTwitterの運用方法が狂気じみている。2013年から運用しているアカウントの900ほどあったフォローをツールを用いて全て外し、歌の即詠と別媒体の投稿共有にのみ用いるような運用にしながら、フォロー関係を限って雑談をするようなアカウントを新たにふたつ作っていた。

 

そのうち一方を先ほど削除した。結局元のアカウントに帰っているわけだが、何をやっているのか、自分でももうよくわからない。だからといってもともとの運用に戻るわけでもない。

 

あまりツイートはせずに、ここに書いたものを淡々と共有し、ツイートとしては即詠や創作論だけ書き記す、そういうアカウントにしようと思っているが、何度もいうように何がしたいのか自分でもよくわからない

 

この記事を読んだ方、つまりもともとのアカウントをフォローしてくれている方にはすでに自明のことだと思うが、精神的に完全に壊れている。実際自分のやることなすことすべての価値が自分によって毀損されつづけている。

 

 

どうしようもない。酒ばかり飲んでいる。説教じみたコメントがこの記事に届かないことを祈る。

叢雲歌会、始動。+Stand.fm

 

詠歌にまつわる話をはてなブログで続けていくかNoteに書いていくか非常に迷っているこの頃です。

 

もともと幻燈歌会という名称で短歌連作、俳句連作、詩、それらすべてを歓迎する綜合文芸批評会をオフライン、オンライン問わず主宰していましたが、COVID-19に端を発する閉塞感に対して思うところもあり、叢雲歌会と改称のうえ再始動致しました。

 

その再始動後第一回となるオンライン批評会を去る4月27日に行いましたので、主宰である私の提出作品を公開しておこうと思います。

 

 

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櫻咲けば雨、あまつさへ雪   山本千景

 

あづさゆみはる小夜更けて白梅は不可視の風を帶びて匂やか           

雨音は窗ゆ鼓膜を傳ひ落ちてこゝろいつしか莟となりぬ

春雨に木々はうるほふ人もまたこの身すべてを花と咲かせて

ひととせのなかにも春ぞ氣ぜはしきあすは葉櫻ゆふべは莟

ながめはつる春を愛しみけしきなべて霞のなかの花と散りゆく

花の日もらうがはしさの雪の果ていつの秋にか月は澄むらむ

積もるだらう櫻隱しの降る街に白く凍えた溜め息たちが

降る雪に烟りしことも過ぎ行きのなかに紛れて櫻をはりぬ

 

 

※ルビ:愛(かな)、烟(けぶ)

 

 

 

叢雲歌会(Twitter, Discord)

 

詩型を問わない文芸批評会です。Discordサーバー参加の際は当ブログにコメントいただくか、私のTwitterアカウント(https://twitter.com/Nostalfire_)までメンションいただければと思います。オンラインオフラインのいずれかにおいて私と面識を持たない方からの連絡を伴わない参加については弾く可能性がありますのでご了承ください。

 

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加えて、Stand.fmというアプリにてラジオ配信を始めました。併せてお知らせ致します。文学にまつわる雑談や朗読を番組として配信していこうと考えています。よければこちらもフォローどうぞ。

 

 

それでは、時節柄くれぐれも恙なくお過ごしください。

 

叢雲堂流霞/山本千景

歌会初参加より四年を前にして——初期作品公開推敲

 

ご無沙汰しております。流霞と申します。短歌を始めて六年は過ぎたようです。

 

 そこで私が四年前、ある方の導きによって初めて歌会に出たときの詠草を公開推敲すれば私のツイートや即詠の読者にとって面白く、かつ詠歌や詩作の踏み台になるのではないかと考え、この稿を記します。体力と時間を鑑みて言及は一首目のみに留めます。

それでは、しばらくお楽しみください。

 

 

口角を上げようとして鏡には吾を貫く眼窩の黒さ

 

一羽、二羽、残鴬響く声聴けば吾が傍らに鳴く閑古鳥

 

 

以上二首が、2016年夏の盛りに未来短歌会のとある歌会に参加した際の作品です。手始めに、上の一首について今の私から見た、詠歌とは口が裂けても言えない拙さを当時の意図を汲みながら批評、解説してゆきたいと思います。

 

この一首目ですが、笑顔を作るべく覗き込んだ鏡に自分を貫く「眼窩」なるものの黒いことが描かれています。ここで前提とすべきは、歌会でもいただいた評ですが人間において眼窩という部位は骸骨になりでもしなければ見えない部位だということです。

 

ここには望ましくない意味において、様々な読み筋がありえます。眼窩という名詞が誰の、何の眼窩なのか。ほとんど用言による説明もされていなければ斡旋も誘導もされていない。あるのは読者の感性だけです。するとどういうことが起きるか。

 

眼窩というのは何か作者にとって思い入れのある動物の死体を幻視しているのだろうか。だとすれば上の句の措辞、笑おうとしてそれが見えるのは一体なぜなのか。どこにも手掛かりがないため、読者が終わりの見えない虚構を試みる羽目になります。さらなる問題は、眼窩が見えるほど凄惨な状態の骸は、どう考えても黒くはないということです。白いか、あるいは血塗れか。そのどちらかが妥当でしょう。現実離れしているというよりは、現実味に欠けています。

 

 では作者たる当時の私はこの作品において何を示したかったのでしょうか。紐解いてゆきましょう。まず鏡には口角を上げるために向かうものだという前提があり、彼は何かに貫かれた。それは眼窩というものの黒さであった。ここまで砕いてもまだ説明不十分の趣が漂います。掘り進めてみましょう。

 

上の句における「口角を上げようとして」という言い回しは、行為について多分に作為的です。この歌は下の句に到っても行為の終結がなく次の事象に雪崩れ込むため、口角を上げ終えたとは断定できません。そして鏡を通して目に映る「眼窩」ですが、これはどうして黒いのか。いうまでもなく黒とは闇のイメージです。一種の絶望です。

 

つまりこの歌において作者たる当時の私が表現したかったことは、鏡に向かって笑顔を作ろうとするとき、自らの相貌に朽ち果てた骸の幻影を見てしまった、ということでした。その虚無感、無力感、罪悪感、失望、それらすべての感情を、「黒」というたった二音の一語に託してしまっていること、これが最大の誤謬ということです。

 

最後に歌としての欠陥を指摘してみましょう。

 

口角を上げようとして鏡には吾を貫く眼窩の黒さ

 

「口角を上げようとして」というのが意識的すぎる。初句から結句まで句切れがなく、冗長。説明的すぎる。二句まで使い果たして述べるような入り方ではない。また、意味内容、漢字表現のバランスが悪く、短歌を縦書きと考えた際に、見た目の上で下部が不用意に重々しい。「吾を貫く」という動作も完全に誇張で終わってしまっている。「貫く」という死すらもたらしうる内容の動詞の強さに対して事象が非常に空疎。鏡という状況設定は悪くないものの、続く第四句の迂闊な体言止めが目立つ。これで私を貫くのが「真冬の日差し」「他者の眼差し」など実体感を含んだ名詞節であったならまだ救いようもあっただろうが、「眼窩の黒さ」という通常は物体を貫くことの有り得ない名詞節が配されているために、なんの実感も呼び起こさない。紛れもない失敗作だろう。

 

 

 ……解体は終わりました。本題です。推敲してみましょう。最終的に二通りの推敲案を提示します。どちらがよりよいか読み比べてみてください。

 

まず、最大限原型を尊重してみます。口角を上げようとして、という入り方に韻文らしさがないことは明らかなので、初句と同じ音数である「鏡には」を初句に持ってきます。

 

鏡には眼窩の黒さ口角を上げようとする我を貫く

 

随分すっきりしました。ですが、つながっているわりには二文がぶつぎれである印象が拭えません。結句の終止形が二文並列の印象を強めているようです。いっそ句切れのあとに空白を入れてしまえば潔く見えそうです。一人称についても抒情の質から透ける年齢、言ってしまえば若さに見合わないので変えてしまいましょう。

 

鏡には眼窩の黒さ 口角を上げようとする僕を射抜いて

 

いかがでしょう。初句二句のわかりづらさは残るものの、かなり読みやすくなったのではないでしょうか。二文が切り離された構造でしたが、動詞を連用形に活用させ、助詞「て」を補うだけで倒置された一文に内容が変化し、流れが見違えました。さて、すべての感情を「黒」に委ねた結果が失敗の最たる要因でした。その思い入れを捨て、別の場所に感情を振り分けてみましょう。

 

鏡には透けゆく眼窩 口角を上げようとする僕がほどけて

 

完成形といえそうです。異常性の高い「眼窩」という名詞に対して少しの説明が加わりました。透けゆくという進行態になることで非現実的な雰囲気が明確になっています。加えて結句の掉尾を担う動詞が助詞「を」を伴う他動詞から助詞「が」を伴う自動詞に変化したことで、「眼窩の黒さ」(推敲後は「透けゆく眼窩」)が「僕に対して作用している」という強い結びつきが薄れ、二文の相互関係が緩やかなものになりました。

つまりは「眼窩が僕を射抜く」という措辞から、「眼窩に(よって)僕がほどける」という構図への変化です。これにより、想像の余地と意味の空白が広がっているように思えます。

 

 

 最後に、例の一首を現在の私の歌論と手法を用ゐて改作してみます。

 

口角を上げようとして鏡には吾を貫く眼窩の黒さ

 

言葉が余りにも硬く、ほとんど詠歌の体裁をなしてゐない。歌の詩的空白には欠かせない虚辞といふものが絶無なので、まづ語彙から考へ直したい。わざわざ眼窩といふ必要があるのか、黒とまでいはねばならないのか。自らが笑はうと努める場面でなくてはならないのか。笑ふのは本当に私でなければならないのか。事柄を限定しすぎなのではなからうか。このやうに懊悩の前面に出た歌で、何が救へるといふのか。

 

******

 

笑まふべき由あれば見る姿見にわがゆくすゑの骸浮かびつ

笑ひえぬ恨みのまゝに眺むれば鏡のうちにわれはしかばね

繰りかへし鏡ながめてゐるうちにゑがほが骸のすがたをとりぬ

笑まふべきものを鏡にうつれるはわがゆくすゑの屍のかほ

ゆふぐれは日に異にわれに寄り添ひぬ鏡のなかを骸のゑがほ

 

 

 

口角を上げようとして鏡には吾を貫く眼窩の黒さ

鏡には透けゆく眼窩 口角を上げようとする僕がほどけて

ゆふぐれは日に異にわれに寄り添ひぬされば鏡に骸のゑがほ

 

 

 

長くなりました。「日に異に」というのは「ひにけに」と読み、日ごとに、日増しにという意味の古代語です。下の詠歌では一切の漢語を排しました。推敲前、推敲後、改作、皆様どちらがお好みでしょうか。コメント、リプライ、それぞれお待ちしております。

 

 

 

玄水亭流霞/山本千景 Twi: https://twitter.com/Nostalfire_ 

 

 

 

 

 

第三十一回歌壇賞応募作品「秋への里程」三十首

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秋への里程  秋山千景

 

うぐひすのこゑを忘れて聴く蝉のひたむきなれば急ぐなりけり

渓流を伝ひ来れるおほるりのこゑ聴くなへに日はあらはれぬ

木々の指すひかりへ向かふ駒鳥のさへづりとほく夏の明け方

ひと夏を眺め暮らしのあかるさは滅びの色と思ひながらも

山鳩のこゑにつられてたまゆらをその電線のうへに過ごしぬ

たまかぎる葉擦れのゆふべ 六弦がVini Reillyの十指に鳴れば

まぼろしの音となるのみ独酌の酒にまかせて歌を詠むのみ

暮れゆかむ夏を惜しめば山法師いづこに咲いてゐたんだつけか

歌会を我が手にひらく愚かさを内なる虎に喰はれて知りぬ

組むことの危ふさいまだ知りもせで酌み交はしてや高架のもとに

ゆるやかに軋むばかりの関はりに酒をあがなふけふもあしたも

あかつきの寝覚めはつかにうなされて歌会の場にわれのみありき

費やしてゐたとも知らずうつせみの身に潰えゆく夢のありけり

いくたりのこゑ妨げて来し方を問はずがたりに過ぎにしわれか

打ち解けて近寄りすぎるさみしさの、いつか白夜をみにゆくだらう

逃げ水のやうだとおもふ 初めからずつと渇いてゐたかなしみを

いまだ見ぬ輩(ともがら)になほ遇はむとてけさ鶏は鳴きにけるかも

市街地に百日紅まだ咲きのこる盛りの蝉のこゑを宿して

感情を呼び水としてしめやかに心は秋の色を帯びゆく

くちびるに人差し指をあててゐる木犀の香をまへに視ながら

山里を隔てて過ぎるゆふぐれは心の底ゆひぐらしのこゑ

三日月の架かれる空は白檀の香りみだらに立ち込めて見ゆ

柿の実の甘きに冴えてしらまゆみかかるひと夜を影と分けあふ

秋雨の気配するどく飛ぶ鳥のあすか色づくべき楢の葉は

いくたびか奈良の都に遊べども鹿鳴くこゑはいまだ知らずも

終はりゆく夏の名残りに空蝉は枯葉と雨とともに落ちゆく

都へと向かふ心のあくがれは縁(ゆかり)のあるといふにあらねど

一幅の絵に降りしきる色彩が、銀杏紅葉のやうにかなしい

東山魁夷したしく読みにけり『京洛四季』の移ろひあはれ

錦繍を求めてやまず絵のなかを紅葉の群れは永久(とは)に流らふ

 

 

感想、引用歓迎致します。